大人の少年で、僕はありたい。

2017年新卒で、人材業界に就職しました。 趣味は読書と、手紙を書くこと。 大人の少年で、僕はありたい。 好きなものは、雨の日とカフェオレ。

幼少期の教育が、子どもの一生を作る。 〜その先に、自分の手で描く未来がある〜

 

幼少期の教育に関して、興味深い記事だったので、引用。 

3歳から5歳でかけた言葉が子供の一生を形作る。「こどものとも」のおかげで今がある

3歳から5歳でかけた言葉が子供の一生を形作る。「こどものとも」のおかげで今がある - じおらま ひすとりぃ

僕自身のこととすごくリンクしたので、僕がふと思ったことを書きたいと思います。

 

まず、この記事で筆者が言っている「3歳から5歳でかけた言葉が子供の一生を形作る」というのは、本当にその通りだなぁと思うわけで。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、特に幼少期にかけた言葉や、身についた習慣、当たり前というのはその人の人生の土台をつくるんだと。しかもその土台というのは、生半可なものではなくて、それ以降の人生に大きく影響するものだったりするわけです。

僕自身の話をすると、僕の教育のほとんどを形作ってくれたのは、母親でした。ある程度大きくなった後にしかその価値だったり意味はわからないものなのですが、それでも今、僕という人間を作ってくれた母親にはものすごく感謝しています。

 

生まれる前から僕と対話をしていた母親のはなし

まず、僕の母親は僕がお腹の中にいるときから、僕に話しかけることをしていたと(本当らしいです)。ありとあらゆるボキャブラリーを使って、語りかけるということをしていた。

僕が生まれてからも、生後1週間からずっと本の読み聞かせをしてくれていたらしく、それは僕が小学生になっても続いていました。僕はそのことをよく覚えている。どんな本を読んでもらったかとか、何を考えたとか、そんなことは一切覚えていないのだけれども、読み聞かせをしていたこと、一緒に勉強をしてくれたという事実だけは、はっきりと記憶に刻まれているんです。

どこに生後1週間から毎日、本の読み聞かせをする母親がいるでしょうか。僕自身は物心がついたときにはそれが当たり前だったのですが、ある程度大きくなると、それはわりと不思議なことで当たり前ではないんだということに気づくわけで。周りの家族、父親だったり祖母だったりに聞いても、母親がしていたこと、生まれる前から語りかけをしていたり、生まれた直後からたっぷりと言葉をかけ、本の読み聞かせをしていたことは、事実らしい。

そんなこんなで僕は、話し始めるのもすごく早かったらしくて、1歳になる前、10ヶ月くらいでは単語を話し始めて(9ヶ月くらいでは歩き始めたらしい)、1歳半ではもう普通に会話をしていたとのこと。2歳くらいでは自分で椅子に登って祖母に電話をかけて、ベラベラ話していたというのですから、不思議な話ですよね。(これを聞いた時には、自分でもさすがにびっくりしたw)

 

ちなみに僕は、胎内記憶があるのですが(本当です。信じてもらえないことも多いですが)、それは僕が言葉を話し始めるか否かという時から、母親に「お腹の中の記憶ってある?」と聞かれていたこと、そして幼き僕はつい最近までいたお腹の中のことは覚えているわけですから、それを言葉にして話す、ということをしていた。笑

そういうやりとりをしていると、忘れようにも忘れられないわけです。僕はふと思うのですが、胎内記憶というのは誰しも持っているものなんだけれども、話すということをしないうちに忘れていってしまうものなのではないでしょうか。

ちなみに母は、生まれてある程度言葉を覚えたら、我が子にその質問をしようと、僕が生まれる前から決めていたらしい。うん。

 

そんなこんなで、気がつけば僕は豊富な言葉と本に囲まれて育っていて、幼稚園くらいでは自ら本を手にとって読む、という習慣が当たり前にできていた。そしてその習慣は、今もなお継続しているもので、そのベースを築いてくれた母には感謝の言葉しかありません。

僕の持論ですが、家庭での教育は、子どもが勝手に本を読むようになったら成功なのではないかと思っていて。まあ実際に成功とか失敗とかいうことには全く意味はないのですが、ひとつの指針として、そういうことなのではないかと思っています。そう言った意味では、僕はまあ(おそらく)普通に育ったしーー何をもって普通かということは置いておき、それなりにまともに育ったということーー、かつ本好きに育ったので、母親の教育はうまくいったと言えるのではないかな、と自分ごとながら勝手に思っています。

 

勉強が好き嫌いではなくなる前に、好きになったはなし

もうひとつ、僕の話を例にとって教育の話を書くと、僕はいろいろな勉強と習い事をさせてもらいました。それはもう母親という存在、そしてそれを可能にしていた環境のおかげであるので、ひとえに感謝の言葉しか出てきません。

もちろん、僕の両親は一般的にいう普通の家庭だと思うので、特殊な環境だったわけではない。むしろ、両親共々、すごく田舎の出ですし、ちゃんと教育を受けたとかは一切なしに結婚をして、僕を生んだ。今までの僕は、両家の親族からみると、かなり珍しく見えるようです。(両家一族の中では、かなり稀らしい。よく言われていた)

そしてそれは、間違いなく母親の教育が根っこにあったからなんです。

 

僕が公文式に通い始めたのは、3歳になってすぐのことらしくて、勉強が好きだとか嫌いだとか楽しいだとか楽しくないだとか、そういう感情を抱く前に僕は勉強をすることが当たり前になっていた。いちばんの遊びだったんです。

小学生に上がる頃、小2か小3くらいまではずっと、母親と一緒に勉強をしていました。小4だかそれ以降は、僕の勉強が進み過ぎてしまって、勉強を見てもらうということはなくなったのですが。

いわゆる学校の勉強のベースができるのは、まず間違いなく幼少期の家庭教育で、そこで言葉や文字を覚えたり、算数の基礎ができたりするんです。そして何よりも、勉強が楽しい!と思えるようになったことは、僕の財産でした。

 

習い事もたくさんさせてもらいました。例えば、ピアノ。

3歳から始めたピアノは、音楽がずっと僕のそばにあるという環境を作ってくれた。いつのまにか僕の生活の中心が音楽からサッカーに変わった後も、中3になる頃までなんだかんだとピアノを習いに通っていました。

3歳前後というのは、まだ生まれた頃の耳が残っている時期で、その時期に圧倒的に音楽に触れたり楽器に触れたりすると、その音がそのまま言語としてインプットされるんです。

バイリンガルに育つのも同じ原理で、幼少期であれば、何ヶ国語も覚えることができる。逆にある程度大きくなってしまうと耳が閉じてしまうので、聞き取れない音を含む言語は、それ以降に覚えようと思っても無理なわけです。少なくとも、かなり大変な作業なわけで、ネイティヴにはなれない。日本人が大人になっていくら英語の勉強をしても、英語の発音にある「R」と「L」の違いが聞き取れないのと同じことです。

そのおかげといっては何ですが、僕は音楽、特にピアノの音を言語と認識して育ちました。いわゆる「音感」というやつです。だから僕は今でも、知っている曲を聴くと、その場でその曲をピアノで再生することができます。ある程度は、ですが。本当の話です。

今ではだいぶ薄れましたが、特に小学生の頃くらいまでは、音楽を聴くとそれがそのまま言葉として僕の中に入っていた。4〜5つの和音くらいなら、どんな音を演奏されても全部当てることができたのですから、人間ってすごいですよね。

 

親の教育の下地のその先に

とまあ、いろいろ書いてきましたが、別に何か特別なことを書きたかったわけではない。ただ、僕自身に限って個人的な話をすると、僕の場合は明らかに幼少期の母親の教育のおかげで、今の僕があるということ。(感謝です。)

一方で、確かに幼少期の教育というのは大切なものですが、じゃあある程度大きくなった後はどうかというと、それはもうその人次第ですよね、ということを僕は痛感しています。ましてや20歳を過ぎたら、全員大人です。それまでの20年間が大きいことは事実ですが、その事実を受け入れた上でその先に描く未来というのは、自分でひとつひとつ積み重ねていくしかない。

大人になるまでの経験、例えばそれは幼少期の教育であったり、環境であったり、それらを良くも悪くも評価することは自由だけれども、評価するということ自体には、あまり意味がないと思っていて。

特に20代の頃までは、遺伝子だったり、それまでの環境要因が大きくその人に影響を与えることは事実でしょう。その中で、仮にそれまでが良いものだったからその先も良い人生だとか、そういうことはないわけで。逆もまた然り。

そうではなくて、事実をありのままの事実として受け入れた上で、もちろんその為には自分なりの解釈が必要だったりもするわけですが、その先に自分自身がどう生きていくかということが大切なんだと思っています。

 

翻って、僕はこれから先の未来に、何を描くのか。

確かに僕は、教育という観点ではすごく恵まれた幼少期を過ごした。一方で、抱えるもの、背負うものも人一倍あった十数年を過ごしたことも事実だと思っていて、でも、そんなことはどうでもいい。

どうでもいいというのは言い過ぎかもしれないですが、そしてもちろん今までのあらゆることに、すごく感謝はしているのだけれども、きちんと受け入れた上で、これから先の未来は、自分の手で掴むんです。

自分の人生は、自分で決める。選択も、決断も、自分でする。

それが、自分の人生を生きるということだと思っています。

 

<追伸>

今僕は、その20年を受け入れるということをしていて、過去の自分自身にひたむきに向き合っているわけです。もう少し時間はかかるかもしれませんが、ゆっくりでも、一歩ずつ進んでいます。ありがとう。