大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

全体研修で聞かれまくった、育ってきた環境要因と親について

先日、今僕がいる部署全体で研修合宿へ行ってきました。

箱根の温泉旅館です。

人生初の小田原駅でおりて、バスで移動。

100人もの大所帯になった僕ら全員で、改めていろんな目線合わせをするという目的だそうです。

(コンサル会社というのは、概して少人数です。100人を超えると大所帯として数えられる、不思議な業界です。あのマッキンゼーでさえ、東京支社は300人くらいなのですから。)

 

普段、僕らがいる西日本ではなく、組織の大半を占める東京のメンバーたちと話をするいい機会でした。

ほとんど知らない人たちばかりの中で、各ワークショップを行います。

5〜6人で1チームを交代していく中で、とても興味深い学びがたくさんありました。

 

なぜか、親や育った環境について聞かれる

チームを交代するごとに、ほとんど聞かれました。

僕の親についてか、育った環境についてのどちらかです。

「どんな親だったの?」もしくは「どうやって育ったの?」と。

 

僕は日本の中でも片田舎の出身です。

東京や大阪圏ではないところで育ったことに起因されるのか、あるいは、僕が新卒2年目(1年目が終わったばかり)だからなのかはわかりませんが、チームを交代するたびに聞かれるので、不思議な気分でした。

ワークの内容は決して「育った環境要因について深掘りをしましょう」というものではなく、「組織の未来と、自分の未来について語り合う」というものなのですから。

 

30代のメンバーも多く、子供がいる、あるいはこれから子供を持つというところにあるのでしょうが、僕の20数年間はなかなか興味深いようです。

 

「どういう教育を受けたの?」というものに対する僕の答えは、

「物心をついた頃には、本をたくさん読む子供だった」というものです。

そしてその答えは、先輩たちを「ああ、なるほど。。」と唸らせるものであったことが、とても興味深かった。

改めて自己認知になったのです。

 

幼少期の教育が、子どもの一生を作る。 〜その先に、自分の手で描く未来がある〜 - 大人の少年で、僕はありたい。

 

子どもが自発的に読書をするように育ったら、その教育は成功である。 〜僕の「書くこと」のベースを築いた幼少時代〜 - 大人の少年で、僕はありたい。

 

続きは、また別の記事へ。