大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

このままではヤバいと思える経験をしよう。〜学問編〜

 

僕は大学時代に経験できてよかったな、と思える大きな経験が2つあります。

1つは、学問のこと。

もう1つは、就職活動の経験です。

 

僕は大学での所属は理学部の物理学科で、物理を専門として学んでいます。

国立大学なので、僕のいる物理学科の人数は一学年40人くらい。だいたい一クラス分の人数です。

その中でひとり「こいつは、やばい」と思える同級生に出会えたことが、すごく大きな経験。

僕は彼に出会えたことで、この大学の物理学科に入ってよかったな、と思えました。

 

大学に入った1年目と言うのは、専門的にそれほど難しい物理をするわけではありませんでした。

大学に入った当初、僕は猛烈に勉強をしていました。それが約2年間続いた。

2年生が終わる頃には、卒業単位に必要な124単位を取り終えていたのですから、その2年間でどれだけの講義をとったんだという話です。

2年生に上がる頃から、専門がだんだんと複雑になってきます。特に難しかったのは、物理ではなくて、物理で使うための「数学」でした。

ここはもう数学科なのではないか、と思えるほどに数学の講義ばっかりあるんです。必修ではなくて選択必修ではあったのですが、3年生以降に学ぶ、より高度な物理で使うために、僕は全部の物理数学の講義を取りました。そしてそれは学科の大体の人もそうだった。

 

最初に、彼との明らかな”違い”を痛感したのは、その数学でした。

もともとみんな、数学が得意で物理学科に入ってきている。僕だってそうでした。それまで数学の勉強に困ったことは、正直一度もなかった。

でも、大学で学ぶ高等の物理数学というのは、もうめちゃくちゃに難しい。

初めて、数学科に行かないで物理学科に行ってよかった、と思いました。笑

本当の話です。

 

もうね、考えられないんです。どうやって理解しようと思っても、イメージができない。

n次元だとか、それを無限に飛ばして、などという話はもちろん高校数学でもやっているので、イメージができないことがあっても、自分なりの言語化によって、問題なく理解してきたつもりでした。

にもかかわらず、全く意味不明な数学がこの世に存在して、かつそれはどうやっても僕にはイメージができない。言語化もできないものだった。

ただ、数式を追って行くしかないんです。全体を観ようと思っても、どうしても全体が見えない。

今書いている数式が、全体の中で何の役割を担っているのかが見えない数学ほど、意味不明なものはありません。そんなものは数学ではなくて、ただの数字です。

ほとんどの物理学科の学生がそんな中で、彼だけはその数学を、イメージで捉えていた。

 

線形代数っていうのはこんな学問。その中で行列式はこんな感じ、ベクトル空間はこんなもの、、というふうに。

線形代数だけではなくて、それ以外の数学も、こんな感じで全部イメージで説明して行くんですね。

「これがあるだろ。これを、こうして向こう側に”ひゅん”ってするんだよ」みたいな。笑

 

大学2年になるかならないか、というくらいのタイミングで、僕は気づきました。

彼は、天才なんだって。

 

天才と秀才の話で行くと、僕は間違いなく後者の”タイプ”です。

間違えないでください。自分のことを秀才だと言っているのではない。あくまでも、秀才型の「タイプ」だということです。

実際、それまでは問題と答えが用意されているような、いわゆる試験勉強では困ったことはなかった。

大学でもそうです。成績はほぼ「優」だった。でも、僕は彼を見て、ああ、僕には物理は無理だ、と思いました。大学2年生の時です。

天才は秀才(あるいはそのタイプ)と何が違うのかって、まあこれは僕なりの一つの定義なのですが、天才は物事を感覚的に捉えています。イメージです。

 

スポーツでいうと、分かりやすい。

例えば、僕が詳しいサッカーでいうと、いま日本代表の香川真司は間違いなく天才です。

理論的に彼のボールタッチやドリブルを説明することはできますが、それはあくまでも彼は感覚的にやっている。考えてはいるはずですが、その感覚的なものは、他の人には真似できません。それが天才というものだと思うんです。

イチローにしてもそう。彼のバッティングのセンス(感覚)は、誰も真似できない。

そういうことだと思うんです。

 

話が少し飛躍しましたが、僕が言いたいのはそういうことです。

僕の同級生の彼は、数学や物理を「感覚的に」捉えて、理解していた。

物理学に、量子力学という分野があります。僕らが生きていて、目に見える実空間の話ではなくて、目に見えない世界を理論化している分野です。

光は、粒子(粒のこと!)であると同時に、波動(波のこと!)であって、それらはあくまでも「確率」でしか存在しない。

みたいな議論をする学問です。

 

ここまでは僕でも書くことができますが、実際に学問レベルで量子力学を学ぼうと思うと、もうそこにはとんでもなく未知の海が広がっているわけです。

もともとは目には見えない物理を相手にするので、どれだけ頑張っても理解できない世界があるんです。

手を抜いたわけではない。僕は物理学科で学ぶ学生として、ものすごく勉強しました。それでも、無理だった。本当に、わからないんです。

そういった世界を彼は「感覚的に」理解している。量子力学はこういう学問で、シュレディンガー方程式は要するにこうで、その中で、、とかそういうことです。

 

僕は大学2年の頃に、ああ、自分は物理で勝負するのは無理だと思った。

そこで生きていきたいとか、悔しいとかいう感情は全くなくて、ああ、そうだよな、と。あっさりと自分の中に腑に落ちた、という感覚が正しい。

その一つの理由は、同級生の中に天才がいたこと。そして同時に、その天才たちの集まりである学科の教授陣を見たことでした。

自分はここではないということが、すっ、と理解することができた。

それが僕がこの大学で学んだ、ひとつの大きな財産でした。

 

彼の話をもう一つだけすると、彼はやっぱり天才です。

(本当はこんな風に書いていいものかとも思うのだけれども、上からとか、勝手に評価しているとか、そういうことではなくて、僕はその彼のことを素直にそう思っているから、書いておきます。笑)

物理学に関してだけではなくて、ITとか、サイエンス全般に特化している。

必ず15年後20年後に、世に名前が出てきているだろうと思える人です。

一つの分野の研究者としてではなくて、おそらくは複数の分野の掛け算として、社会に何かをもたらしているのだろうと。

そう遠くない未来にそれが見れるのだと思うと、僕はすごく嬉しく思う。

友人として誇らしく思うと同時に、僕は僕の道を、一歩ずつ進んでいきたいなと。

淡々と。

 

長くなったので、もう1つの〜就職活動編〜はまた別の記事で書きますね。

ここまで読んでくれて、ありがとう。