大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

圧倒的なリベラルアーツは、飛び値の発想を可能にするための必要条件である。

 

我が社の命運を握るといっても過言ではないほど重要な本プロジェクトのメンバーには、リベラルアーツを兼ね備えた人材を置きたい。

 

今日、とあるお客さん(某大企業の役員)との商談の中で出てきた会話が印象的でした。

 

 

関西に拠点を置く製造業のクライアントなのですが、最近のトレンドである「工場IoT」をやりたいということで、プロジェクトが立ち上がり始めています。

数年後までのゴールがある程度決まっている中で、結果を出していくためにはどうするのか。僕らはそのお手伝いをします。

 

どういうことかというと、IoTというのは「モノをインターネットに繋ぐ」ということなのですが、それを工場で実施するということです。

自社の工場では、たくさんの機械が動いているわけですが、その機械のそれぞれをIoT化することによって、例えば事前に故障を感知して知らせたり、メンテナンスを適切な時期に行うことができるようになります。

 

それによって、「しまった!まだ大丈夫だと思っていたのに、機械が故障してストップしてしまった!」という事象から数千万以上の損失を計上するということがなくなるわけです。

工場にきちんとIoTを導入して運営をすることにより、その会社は数千万円以上ものコストカットを実現することができます。

 

 

(クライアント:大企業の役員さん)

とは言え、データマイニングの知見から考えると、現時点で弊社には、このレベルでIoTやAIを扱えるような人材はいない。

 

ーIoTのシステム導入を外部に委託すると、それこそ数千万では収まらない金額になりますよね。それなら、中長期的に考えると、自社で将来の幹部メンバーを育成した方が良いのではないでしょうか。

 

それもそうだな。ただし、その幹部メンバーに抜擢する人材は、単に言われたことができる優秀な人材ではいけないと考えている。

 

ーどういうことですか?

 

特にビッグデータやIoTといったものを扱う人間は、飛び値の発想が求められる。

 

ーはあ。どういうことですか?

 

「風が吹けば、桶屋が儲かる」という言葉があるだろう。要は、そういうことだよ。

 

ーよくわかりません。どういうことですか?

 

「風が吹いた」という事象と、「だから、桶屋が儲かる」という事象を繋ぐことができる人間が必要だということだ。

 

ーふむふむ。(わかるような、わからないような)

 

つまりだ。普通の人では考えつかないようなモノとモノを線で繋ぐことができ、それを形にすることができる人だということだ。

 

ーそれは御社の中で優秀な人材に共通する資質ですか?

 

いや、企業人として単に優秀である人は、この領域においては向かないことが多い。

答えを覚え、言われたことを正確に行うという能力は必要だが、それしかできない人間は向かないということだ。

 

ープラスアルファの資質は、どこから来るのでしょうか?

 

リベラルアーツだよ。圧倒的な教養こそが、飛び値の発想を可能にする。

必ずしもうまくいくとは限らないが、少なくともリベラルアーツを兼ね備えた人間でなければ、無理だということは今までの経験則でわかっている。

 

 

 

長年にわたって外資系のメーカー/コンサル企業で働いていたその方がおっしゃったのは、最先端の領域を切り開いていくために必要な要素はいくつかあるけれど、決定打となる要素は「リベラルアーツ(=教養)」であるのだと。

 

いま、ひたすらにトレンドとして謳われている「AI(人工知能)」や「IoT(アイオーティー)」と呼ばれる最先端の領域は特にそうで、単に 企業人として優秀=言われたことをきちんとできる というレベルでは、無理だと断言なさっていました。

 

なるほどと思わされたわけです。

要は、本当の意味でのリベラルアーツは、「これこれの役に立つから」という理由で身に付けるものではなく、その人の資質であり、学ぶ姿勢であるということです。

学ぶ姿勢というのは、謙虚であるということ。

それは、身の回りで起こる事象に対してもそうですし、知らないという自分自身に対しても謙虚であるということです。

何がどう繋がるのか、役に立つのかということはわからないけれど、あらゆる物事に対して疑問を持ち、自ら考えるという長い期間にわたってのその姿勢がいつか、リベラルアーツとしてその人の深さとなってくるのです。

 

圧倒的なリベラルアーツ。

ビジネスにおいてそれは、飛び値の発想を可能にするために必定条件であるということ。

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