大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

涙は涸れても、愛は枯れない。  〜読書『ノルウェイの森』から〜

僕が村上春樹の本を読むようになったのは、確か中学生の頃だったと思う。

「ノルウェイの森」が日本で大ヒットした事、そして、「Haruki Murakami」の本が世界中で読まれている事は、知っていたと思う。

けれど、どこかアンニュイな感じが漂う村上春樹の本を手に取るには、10代半ばの僕にとっては、易しいことではなかったと記憶している。

 

最初に手に取ったのはおそらく、やはりといっても良いと思うが、「ノルウェイの森」だったと思う。

ビートルズが好きな僕は、最初に主人公が空港で「ノルウェイの森」を耳にするストーリーの始まりに、どっぷり浸かっていった。

 

1987年に書き下ろされた本作品だが、当然、僕はその時代には生まれていない。

1960年代後半、東京の大学生である主人公の「僕」(ワタナベトオル)は、著者である村上春樹氏がモチーフになっている。

それは、年代的にも、生い立ち(神戸を出、東京の大学へ進学)的にも、そうである。

 

あらすじ

そして、このブログを書いている僕自身にとっても、彼の生活や時代背景は、すごく心が揺さぶられる。

社会が激動し、戦後の日本全体が前向きなエネルギーを持っている。けれども、そのエネルギーをどこに向ければ良いのかわからない。そんな感じである。

そして、大学の中にいる「僕」は、どこか冷めて物事の成り行きを見ている。自分や、社会や、そして恋人までも。

37歳の僕は、ハンブルク空港に到着した飛行機のBGMでビートルズの「ノルウェーの森」を聴き、激しい混乱を覚えた。そして学生時代のことを回想した。

直子とはじめて会ったのは神戸にいた高校2年のときで、直子は僕の友人キズキの恋人だった。3人でよく遊んだが、キズキは高校3年の5月に自殺してしまった。その後、僕はある女の子と付き合ったが、彼女を置いて東京の私立大学に入学し、右翼的な団体が運営する学生寮に入った。

1968年5月、中央線の電車の中で偶然、直子と1年ぶりの再会をした。直子は武蔵野の女子大に通っており、国分寺のアパートでひとり暮らしをしていた。二人は休みの日に会うようになり、デートを重ねた。

10月、同じ寮の永沢さんと友だちになった。永沢さんは外務省入りを目指す2学年上の東大生だった。ハツミという恋人がいたが、女漁りを繰り返していた。

翌年の4月、直子の20歳の誕生日に彼女と寝た。その直後、直子は部屋を引き払い僕の前から姿を消した。7月になって直子からの手紙が届いた。今は京都にある(精神病の)療養所に入っているという。その月の末、同室の学生が僕に、庭でつかまえた螢をくれた。

夏休みの間に、大学に機動隊が入りバリケードが破壊された。僕は大学教育の無意味さを悟るが、退屈さに耐える訓練期間として大学に通い続けた。ある日、小さなレストランで同じ大学の緑から声をかけられる。演劇史のノートを貸したことがきっかけで、それから緑とときどき会うようになった。

直子から手紙が来て、僕は京都の山奥にある療養所まで彼女を訪ねた。そして同室のレイコさんに泊まっていくよう勧められる。レイコさんはギターで「ミシェル」や「ノーホエア・マン」、「ジュリア」などを弾いた。そして直子のリクエストで「ノルウェイの森」を弾いた。(以上、上巻)

ある日曜日、緑に連れられて大学病院に行った。そこには彼女の父親が脳腫瘍で入院していた。父親は数日後に亡くなった。永沢さんは外務省の国家公務員試験に受かり、ハツミとの就職祝いの夕食の席に僕は呼ばれる。

僕の20歳の誕生日の3日後、直子から手編みのセーターが届いた。冬休みになり、再び療養所を訪れ、直子、レイコさんと過ごした。

年が明け(1970年)、学年末の試験が終わると、僕は学生寮を出て、吉祥寺郊外の一軒家を借りた。4月初め、レイコさんから直子の病状が悪化したことを知らせる手紙が届いた。4月10日の課目登録の日、緑から元気がないのねと言われる。緑は僕に「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」と言った。

6月半ば、緑が2ヶ月ぶりに僕に話しかけてきた。緑は恋人と別れたと言う。僕にできることはレイコさんに全てをうちあけた正直な手紙を書くことだった。

8月26日に直子は自殺し、葬儀の後で僕は行くあてもない旅を続けた。1か月経って東京に戻ると、レイコさんから手紙が届いた。レイコさんは8年過ごした療養所を出ることにしたという。東京に着いたレイコさんを自宅に迎える。彼女は直子の遺品の服を着ていた。風呂屋から戻ると彼女はワインをすすり、煙草を吹かしながら次から次へと知っている曲を弾いていった。そして50曲目に2回目の「ノルウェイの森」を弾いた。

翌日、旭川に向かうレイコさんを上野駅まで送った。僕は緑に電話をかける。世界中に君以外に求めるものは何もない、何もかもを君と二人で最初から始めたい、と言った。(wikipediaより引用)

僕はどこか、この気だるい世界観が好きで、そして、僕の大学時代もこうであったらいいなと、中学生ながら僕の心の絵に強烈に刻まれている。

周りの社会からは切り離され、そして自分の中の奥の方にはどこに向けたらいいかわからないエネルギーのマグマみたいなものが眠っている。

自分自身はその確かな手触りはあるけれど、それを汲み出すには、時間や環境が違う。

だからこそ、そんな中で、東京の下町の煙ったい喫茶店で珈琲を飲みながら、本を読み、音楽を聴き、そして社会を見つめている。そんな感じ。

ノルウェイの森の「僕」は、僕自身の1度目の大学生活なのだ。