大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

「CAN」も「WANT」も、「MUST」をやり続けることでしか見えてこない 〜求められることをやり続けるということ〜

(2018年1月追記)

yuto.hatenadiary.jp

 

***

 

僕はありがたいことに、多くの就活生の話を聞く機会が未だにあります。

その中でよくある悩みが「自分のやりたいことなのかわからない」「自分に本当に合っているのかわからない」というもの。

あの業界は、この企業は、本当に自分がやりたいことに合っているのか?自分に向いているのか?と、悩みに悩んでも答えが出ない、ということもよく聞くのだけれど。

僕なりの意見を書かせてもらうと、それは至極当然なことだと思う。

仕事というのは、やってみないことには、本当にその仕事が自分に向いているのか。合っているのか。場合によっては本当に好きなのかすら、わからないものだと思うからです。(たかだか社会人数ヶ月のお前が「仕事」を語るな、と怒られそうですが、まあそこは愛嬌で)

 

求められることをやり続けるということ

よく目にする『MUST-WANT-CAN』のフレームワークがあるけれど、僕は、自分の「CAN(できること)」も「WANT(やりたいこと)」というのも、本当の意味では働いてみないとわからないと思っています。

もちろん、就職活動では自己分析を通して自分の「やりたいこと」や「できること」の要素を考えて行くことは大切。それはもう本当にそうなんですけれども、一方で、実際に仕事をしていく上では、そんなことは関係ないわけです。やりたいことやできることだけをやる仕事なんてないわけで、もしあったとしてもそれはすごくつまらないものなんだろうと。

自分がやりたいことで、かつできることで、そしてそれが求められること(=MUST)であるならば、それはそれで素晴らしいけれど、20歳そこらで就職して、今まで仕事や社会に触れてこなかった人ができることなんていうのもは高が知れているわけで、そんなもので本当にいいのですか?という話です。

 

自分のやりたいことやできることというのは、究極、求められることをやり続けた先にしか見えないと思っていて。

古臭いと言われるかもしれません。そうなのかもしれない。

でも、社会というのはどこまでいっても上にも下にも、そして横にも圧倒的な数の人がいるということを知って、その自分の立ち位置の中で、今立っている場所で求められることをやり続ける。

そうやって、少しずつ自分の立場や肩書き(というのでしょうか)がついてきて、気づいたら少しずつできることが増えて、その中で初めて自分の「本当にやりたいこと」が見えてくるのだと僕は思っています。

 

なんだ、いつもはやれ自分軸だ、やりたいことを考えることが大切だというのに、矛盾することをいうじゃないか。と思う人もいるかもしれませんが、そうではない。

自分のやりたいことを考え続けることはすごく大切。

一方で、今の自分がやりたいこと、できるこというのは、社会という圧倒的なリアルの中で揉まれて、変わっていきます。

自分軸は大切だけれども、同時に変わっていく、変化せざるを得ない現実も感じた上で、自分がどんどん深くなっていくのだと思っていて。

だからこそ、考え続けることは大切で、自分の意思は大切にした上で、その中で「求められること」を圧倒的に、ひたむきにやり続けることが大切だと僕は思うんです。

今はそれが例えばコピーの出力でも、電話番でもよくて。やり続けるという価値、仕事があるという本当の価値は、なかなかわかりづらいこともあるかもしれないけれど。

きっと、やり続けたその先に見えてくるものがあるから。

 

それでも悩んでいる就活生にメッセージ

というようなことを言って、どれだけの就活生の人がその意味をわかるのだろうか?という話もありますが。

僕はありがたいことに、学生時代の中で、上で書いたようなことを体現している大人の人たちに会うことができた。その経験がものすごい価値だということに、今となって改めて気付かされます。

なぜなら、多くの大人の人たちもまた、同じようなことで悩み、わからなくなっているから。

 

月並みなようなことを言うようですが、まずはがむしゃらに頑張ってみてください。

自分が納得いくまでやってみる。

大学時代にたくさん勉強をして、本を読んで、音楽を聴いて、素敵な大人に出会ってください。

就職活動をしている方なら、思う存分受けてみる。後悔しないくらい、受けまくってみる。自然と削られてきて、落ち着くところに落ち着くと言うのは自然の摂理です。

(就活の考え方やスタンス、あるいはテクニックというのは確かにあるけれど、それはまた別の話だと思っていて。それはまたそれで別の記事を読んでください。あるいはメッセージをください)

その上で、自分の「決断の軸」というものを考えて、自分で決めてください。

他の誰でもない。自分の人生です。

 

 

一方で、決断した先というのは、結局はやってみないとわからない。

上で書いたように、たとえどの場所に立ったとしても、そこで求められることがあって、自分自身の意思を問い続けた上で、それを圧倒的にやり続けるんです。

きっと、できることもやりたいことも、見えてくるはずです。

今よりも一段上のステージで見えてくるものがある頃には、うん。

共に、咲けたらいいですね。僕も淡々と、僕の道を行きます。

 

いつも、ありがとう。

 

<追伸>

近しいことを以前に書いている。言語化はできなかったんだろうな。でも、思っていることは同じです。

yuto.hatenadiary.jp