大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

『分析』と『思考』は似ているがぜんぜん違う!と思ったはなし。

 

僕らはよく『分析』と『思考』という言葉の意味を混同して使っている。

というか、そもそもよく理解しないままに、「思考する」という思考をしているのだと。

それに気づかされたのは、僕が大学時代に関わったインターンシップと、そして就職活動においてでした。

 

例えば。

僕が関わらせてもらっていたインターンシップを例にとると、それはひとつHR(人材領域)のお仕事です。

主に新卒の就活生(大学生)と、企業のマッチングの場づくりをしているので、僕の住んでいる地域(都道府県)の新卒の学生の市場の動向について考えることがポイントになってくるわけです。

もっというと、その中でも主体となるいくつかの大学(学生の数が多い=マーケットが大きい)の学生の動向を考えることが必要なわけです。

僕はまずそこで、『分析』と『思考』は微妙に違うけれど実はその差はかなり大きいということに気づきました。

 

例えば。

僕が住んでいる県全体で考えた時に、

・3年以内の離職率が4割である。(データはちょっと違います)

・3年以内の離職率が4割だから、まずい。

という2つの結論があります。

前者が『分析』で、後者が『思考』(=意見が加味されている)になります。

 

前者の「3年以内の離職率が4割である」というのは、客観的なデータを集めていけば、誰でも到達する結論です。

対して後者の「3年以内の離職率が4割だから、まずい。」というのが『思考』で、たとえ一言「まずい」という言葉が加えられているだけでも、誰にでも到達する結論ではないという点で、前者の『分析』とは決定的に異なっています。

ということに、まあいろいろやっている間の途中でではありますが、気づかされたんですね。

 

上の例でいくと、後者の「まずい」という意見は、例えば、全国の離職率平均が約3割で、その数値を10%以上も上回っているという点において「まずい」とか、

あるいは、この都道府県では毎年かなりの数の新卒が公務員試験を受験し、かなりの倍率になっていて、落ちる人は相当な数に上る。そこまでして合格したにも関わらず、それらの人たちを含めて離職率が4割であるということは、そもそものジョブマッチングがうまくいっていない、という点において「まずい」とか。

そのような一連の思考の背景とアウトプットを踏まえて『思考』は『分析』とは全く異なる、ということです。

 

あるいは逆に、「3年以内の離職率が4割だから、いい流れになっている」というのもありなわけです。

一昔前までは、石の上にも3年という言葉があるように、自分に合っていなくてもとりあえずは3年間その場所にいる、という思考停止の状態にあった。

けれども今は、自分に合わない、あるいはここでしたい経験はできたので、次のステップに行くために転職をする。という自由な働き方が浸透してきているという点で、いい流れであると思う。みたいな。

 

これは結局は、仕事におけるスタンスにもつながっているわけで、例えば上司に対して「これこれの問題が起きました!」という報告をするだけでは、それはただの事務連絡なんです。

そうではなくて、「これこれの問題が起きたので、こうしようと思うのですが」と持っていくこと(=相談)が大事なんですね。そこに自分の「意思」が入っているかどうか、ということです。

 

ちなみに、就活において問われるのも、ただの「分析」とか(データとか、周りの人がこう言っているとか)ではなくて、結局あなたはどう思ったの?どうしたいの?という「思考」であるので、就活生の人はその点を意識してみるといいのでは。

ということが、僕自身の就職活動を通して気付かされたものでした。

ありがとう。

 

<追伸>

ちなみに。

僕はこうして文章を書く上で、「ブログは”思考”を書いた方が良い」という主張をしているわけではありません。悪しからず。

もちろん、ただ一方的な情報を羅列するだけのブログよりは、そこに自分なりの解釈とか、言葉とか思考とか、そういったものを加えた方がいいような気もしますが、必ずしもそうすべきだとは思っていません。

僕の書いているブログでいうと、「僕はこう考える」という自分の立場をはっきりさせる「思考的」な内容も書く一方で、断定はせず、自分なりの結論も出さないままで終わる内容の記事も、わりと書いています(そのつもりです)し、それでいいと思っています。