大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

就活で語り継がれる武勇伝で通ろうとしない。一面だけを切り取って真似ると失敗します。 〜人生を実際に歩いてきたのは自分以外にはいない〜

 

就活には、先輩たちから代々(?)語り継がれる武勇伝のようなものがあります。

面接でやる気を見せるために、腕立て伏せをしたら通ったとか、合唱サークルで頑張った話をしたら、歌ってみてと言われて歌ったら通っただとか。(実際僕の友人は歌って通ったと言っていたw)

ある意味、就活界隈に出回っている伝説のような武勇伝は、わりとたくさんある。

その武勇伝の罪なところは、そのほとんどが「誰が」やったのかということを抜きにして、その武勇伝だけが一人歩きをしていることだと僕は思うんです。

その武勇伝のエピソードを、表面的に真似して落ちる人がいるんですね。実際には「これをして落ちました」という話を積極的にする人はほとんどいないけれど、確実にいるわけです。

 

大切なことは、そのエピソードの真偽ではない。

仮に先輩が、あるいは同級生が、面接で腕立て伏せをして通ったからと言って、その人が腕立て伏せをしたから通ったわけではない、ということなんですね。パフォーマンスありきではない。

その人はちゃんと自己紹介が言えて、あるいは自己PRが言えて、志望動機も話せて、その上でパフォーマンスをしたかもしれない。けれども、そのバックボーンを見ることをせずに、瞬間的な芸だけを切り取るのは、どうなんだという話です。

 

ちょっと話が極端になりましたが、別にこれはES(エントリー・シート)を書く際も、面接で志望動機を言う際も、同じなんですね。

例えば僕の大学の先輩(というか元上司)が、何年か前に就活をした際に、ESの自己PRで「私はドMです」という書き始めをしていた、というエピソードがあります。

実際に彼の就活と今の仕事が説得力となって、僕らの周りでは一時期かなり出回った話なのですが。

こういった書き出し方。なんだろう、出落ち感というか、いわゆる「私は〜〜です」ーー例えばドMです、手紙屋です、人間蒸気機関車です、とかそういう類のものーーというような書き出し方は、一見すると見せ方のテクニックで、面接官の目を引くものだ!と思われていますが、その形だけを手っ取り早く真似ようとすると、かなり残念な、というか悲惨なことになります。

別に彼らは、その出だしから入って、自己PRを作り上げたわけではない。

 

上の話の続きで行くと、「私はドMです。というのも、私は一度掲げた目標に対して、絶対に達成すべく努力することができる人間です。(中略)その様が、まるでドMの様だからです」というように広がっていくのですが、もともとはその「目標に対して努力できる」という人間特性を、圧倒的な自己分析で導き出して言語化したわけです。

その過程というか背景を見ずに、形だけ真似をするというのは、墓穴を掘ってしまう。

もちろん形から入ることは大切ですが、ここではそれは本質的ではない。ここでいう形から入るというのは、人間特性を言語化する部分ということになるんですね。

 

ちなみに、こう言うことを書くと、それはわかっていますよ。という人もいると思いますが、たぶん、まだ足りません。

何が足りないかと言うと、スタンダードの自己分析、あるいはスタンダードに自己PRや志望動機の文章を書く「量」が足りない。

圧倒的に書いて、何度も推敲して、見せて、実際に使って、もう一度書き直して。

みたいなプロセスを経ないと、その先にある「どう伝えるか」というところには、なかなか行かないんです。

なぜなら、「どう伝えるか」の前にある「何を伝えるか」の準備が、圧倒的に足りないから。

だと僕は思うのですが、どうでしょうか。

 

志望動機も同じこと。自分の20数年間なのだから。

上で書いたようなことは、志望動機などでも同じことです。

例えば、まあ僕の話でどうかと思う面もありますが、分かりやすいと思ったので僕の話を書きます。

僕はどの業界のどの企業に対しても一貫して、志望動機は「将来、作家になりたいから」の一点張りでした。

ということは以前にも書いたような気もするので、詳しくは書きませんが。(リンク先のページにあります)

 

そういったことを書くと、あるいは後輩たちと話をする中でそのことを言うと、「将来、作家になりたいから」という将来像、あるいは「将来、本を書きたいから」というヤリタイコト像に目がいってしまい、それから抜け出せなくなってしまう(ことが多いような気がする)んですね。

何度も繰り返すようですが、ここで本質なのは「本を書きたい」とか「作家になりたい」ということではなくて、なんで本を書きたいと思ったのか。どうして作家になりたいと思ったのか。という背景と過程、そしてそのためにこの企業で何をしたいのかという意志だということです。

 

さらに加えるならば、その目標を持った上でその企業で仕事をすることで、僕とその企業にとって、どんなメリットがあるのか。

ここまで考えて、相手に伝えることができれば、かなりいい線にいくと僕は思っています。(たぶん、大体は受かるんですね)

 

志望動機なんてわからないよ、という人もきっと多い。

ぶっちゃけ、超具体的な志望動機を出すことは、結構難しいことだと思うんです。

自己紹介は、まだいける。自分のことだから。

でも、志望動機というのは、自分自身に加えて相手もいるわけで、その中で双方の落とし所というか、間にある部分、目指す先が一致していることを言語化して伝えるというのは、結構難易度が高いこと。

それを踏まえた上で、それでもやっぱり、圧倒的に考え続けるしかないんだと思うんです。出す。とにかく出してみる。何を出すかというと、自分自身の20数年間です。

過去の20数年間の中で、やってきたこと。やりたいと思ったこと。ついやってしまっていたこと。

それらを出して、その要素を徹底的に考える。書く。言語化する。

そうやって、紡いでいくものだと思うんです。

 

こちらの記事に、面接では「自己紹介」と「志望動機」を言えるようになろう、ということを書いていますので、もしよければ。

 

人生を実際に歩いてきたのは自分以外にはいない

外から見ると、綺麗にまとめられた志望動機も、たった400字に凝縮された自己紹介だったとしても、それはあくまでもそれ。

実際には、20数年間という長い道のりがあって、今のあなたがあるんです。その事実は変わらない。

その道のりをを、どういう風に切り取ったとしても、あくまでも実際に歩いてきたのは、自分以外にはいないということです。

自分の足で、歩いてきたことには変わりはない。

その事実が、どこまでも大切なことだと思うんです。

そして、その先にある「今」この瞬間に、自分がどんな風に思っているのか。どこに歩いて行きたいのか、ということ。

 

200字の自己紹介で、あるいは30分の面接で、自分の20数年間が伝わるのかというと、そんなことはない。無理です。

少なくとも僕はそう思っていて、すべてを伝え切るのは無理。

たったそれだけのもので私を判断しないでよ、と思う就活生の気持ちは痛いほどにわかりますが(僕もそう思っていたし、今もそう思っている)、その自分を30分の中でどれだけ伝えられるのかというのが面接だし、そのきっかけとなるのがESだし、いうなればそれが就職活動なんです。

 

あくまでも自分が、自分の人生の主人公だ。という当たり前のことを忘れずに、就活に臨んで欲しいなと思っています。

ほんの半年前に、就活生だった僕からの、ささやかなメッセージ。

長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださって、ありがとう。

 

 

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