大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

繰り返し読みたい作家は、その作家の世界観に惹かれている。

 

誰にでも「この人は!」と思える作家が1人や2人いるのではないでしょうか。

つまりは、この人が出すなら、次の本も買ってみようかな。と思たり、あるいは、今までに読んだ本が好きで、それよりも前にこの人が書いた本ってどんなものだろう?と思えたり。

そんな風に、繰り返し読みたい作家に出逢えることは、すごく運の良いことだし、素敵なことなんじゃないかと思うんです。

 

繰り返し読みたいと思える作家に出逢えた人というのは、その作家の世界観に惹かれているんだと思うんです。

その人が織りなす言葉や物語に惹かれるということはつまり、その作家の世界観に惹かれている。

なぜだかわからないんだけれど、好きになってしまった。というような感覚ではないでしょうか。

 

僕にも、この人が書いた本なら全て読みたい。と思えるような作家がいます。

しかもありがたいことに、それは1人ではなくて、何人もいます。

全部買って読むにはもうすこし時間がかかるかもしれませんが、それでもいま、読み続けている、というような作家もいます。

 

何人もの作家が書いた本にたくさん触れてきて思うことは、その作家が書いている内容というのは、実はある程度のところで繰り返していて、同じようなことを少しずつ表現を変えて書いているような場合が多い、ということです。

それはミュージシャンでも、アーティストでも、あるいは画家でも、小説家でもそうだと思うんです。

例えばミュージシャンでも、一見すると同じような歌に聞こえる歌を歌っている場合って、結構多いと思うんです。

普通の人からすると、あんな同じような曲がいっぱいあって、何が面白いの?って。

でも、それがファンからすると、たまらないんですね。

 

作家にしてもそう。

同じような内容を、微妙にニュアンスを変えて、あるいは多少表現を変えたりしながら、繰り返し繰り返し伝えることをしている。

小説家が綴る物語は違えど、伝えたい世界観や、伝わる世界観というのは、どこかしらで似ていることも多かったりするわけです。それがその人”ならでは”だったりするわけで。

でも、読んでいる人には、繰り返しを超えて伝わる「何か」があったり、あるいは読み込んでいる人にしか伝わらない「プラスα」があったりと、そういうことだと思うんです。

それが、いつのまにか惹かれていて、つい本を買ってしまう、ということなんじゃないかと。

 

それは本や音楽以外にも、例えばこうして書いているブログであっても同じことです。

僕はできれば毎日、とまではいかなくても可能な限り頻繁に、読みに行くブログというものが確実にいくつかあるんです。

それは著名人のものもあるし、そうでない人のものもあります。きっと今から名前が出てくると思える友人のものもあります。

それらは他の人からすると、どうでもいいようなことを書いているように見えるかもしれないし、あるいは同じようなことを書いているように見えるかもしれないのだけれども、僕はそこに書かれているものが、すごく面白い。言うなれば、そこに書いてある文章に現れる、その書き手の世界観に惹かれているんです。

 

ここで僕の話を書いて恐縮なような気もしますが、こうして僕が書いているブログも、こうして繰り返し読みにきてくれる人がいます。

それは本当に、奇跡のようなことで、ものすごく嬉しいこと。

こうしてブログを書き続けられることだけでも楽しいことなのに、それを読んでくれる人がいるということは、もうなんとも言えない嬉しさなんです。これはブログを書いている人にしかわからない喜びのようなものだと思っていて。

僕のブログを読みにきてくれる人は、僕のことを知っている人もいますし、そうでない人もいます。

それでも、やっぱり僕のブログを時折読んでくれるということは、僕の書いている「何か」に刺激されていたり、ひとつでも面白いと思ってくれていたりと、そういうことだと思うんです。

 

僕はこれからも、きっとこのブログを書いていくと思います。

いつか、僕の名前でブログを書くときがきたら、いいなと思いつつ。

そしてそれが、僕が本を書くときだったら、なお良いですね。なんてことを思っています。

 

いつも、ありがとう。