大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

何かを書くときに、イメージしていること。 〜イメージを変えると、文体が変わる〜

 

何かを書き始める時に、例えばこうしてブログを書くときに、

よし、これを書こう。

と思ってパソコンに向かっても、書けないことがよくあります。

書き始める前は、「これについて、こんな風に書こう」などと思っているのですが、いざパソコンを開き、あるいはノートを開くでもいいけれど、書こうと向き合ってみると、意外と詰まって書けないことがある。

あれ、何かがちょっと違う。思ったよりも、書くことがない。

というように。

 

そんなとき僕は、この文章の向こう側にいる人のイメージを変えることをしてみます。

 

この場合だと、伝えたい”何か”があって書き始めるけれど、うまく書けない。

だから、この伝えたい”何か”を、誰に、どんな風に届けるか。ということをイメージしてみる。そしてそのイメージを、自分自身がしっくりくるように変えてみる、ということをします。

 

例えば、誰かひとりに対して「話しかけるように」書くと、うまく行く場合がある。

あのね、これはね、こういうことなんだ。

というように、誰かひとりに向けて話しかけるように、自分の頭の中でその音が聞こえるようにして、書く。

そうすると、詰まっていたものがスッとなくなって、スラスラと言葉が出てくるようになります。

あとは、自分の頭の中で聞こえる音(話し言葉の音ということ)を、手が勝手にパソコンに打ち込んでいく、ということです。

 

あるいは。

誰かひとりに対して話しかけるように書くことが、しっくりこない場合がある。

そのときは逆に、30人とか50人とか、人前で話すようなイメージをもって書くと、うまく行く場合があります。

不思議ですよね。

でも、実はこれはすごく大事なことで、書き手がどんなイメージを持って、誰に何を伝えようとしているのか。ということを、無意識的に明確にしているんですね。

 

必然的に、その時々で、書く「文体」というものが変わってきます。

どういう語り方で書くのか。

断定調で書くのか。丁寧語で書くのか。

誰に対して話しかけているのか。自己との対話の中で生み出される言葉なのか。

というように、そういったことがひとつひとつ丁寧に浮き彫りになってくるんです。

だからこそ「文体」が大事なんですね。

(村上春樹さんも「文体」が大事だという話をよくされています)

 

書き方は、人それぞれです。

本の読み方が、人それぞれであるように。

その人の書き方は、それまでに読んだ本の書き方ーー文体とか、言葉遣い、語彙を含めーーに、かなり影響されます。

あるいは、自分自身が普段、どんな風に言葉を考えて話をしているか、ということに依る。

僕自身はどちらかというと、話し言葉と書き言葉は結構異なるタイプだと思っています。

誰かと話をするよりも、こうして一人でパソコンに向かっている方が、スラスラと言葉が出てくる。

何かを考えるときも、書きながら考えていって、考えをまとめていく。

そういう方が性に合っているんだと思います。

 

「音」を使って文章を書いている

僕が文章を書くときに大事にしているのは「音」です。

まず、自分の頭の中で聴こえる、僕自身が語りかける言葉の音があって、それを文字にしていく。

言い換えると、僕は「視覚優位」のタイプではなくて「聴覚優位」のタイプだということです。

視覚優位とは、文字で見た方が物事が理解しやすいタイプで、聴覚優位は、耳で聞いた音の方が理解しやすいタイプ、ということ。

学校の授業とかでも、生徒によって、先生が話す言葉で理解する人と、板書を見て理解するタイプの2通りがいるのと一緒です。

聴覚型の生徒に対して「ちゃんと板書をノートに写しなさい」と言うのは、実は理解を妨げることになっていたりする。

それよりも、「ノートは必要なところだけメモしていいから、説明する時はちゃんと話を聞く」ようにした方が、生徒によってはプラスになると言うことです。

もちろん、タイプに依るのだけれども。

と言う点で考えると、僕は自分の中で言葉の音をつくって、それをもとに思考をしていく。あるいは文章を書いていくタイプだと思っています。

 

人はものを考えるときに、言葉を使って何かを考えます。

言葉という思考ツール、概念がなければ、そもそも物事を理解できません。

一概に「赤色」と言っても、何十種類も赤色があるけれど、僕ら日本人の多くは「赤」という言葉しか使わないから、全部同じ一つの赤色に見える。ということと一緒です。

 

という視点を持って、自分自身の「書く」こと、あるいは「思考」について考えてみると、なかなか興味深いかもしれませんね。