大人の少年で、僕はありたい。

2017年新卒で、人材業界に就職しました。コンサルのお仕事やっています。 趣味は読書と、手紙を書くこと。 大人の少年で、僕はありたい。 好きなものは、雨の日とカフェオレ。

大学の講義で眠っている学生がいたら。 〜社会の厳しさってなんだろう、と考えてみる〜

 

先日、SNSで流れてきたとある方の投稿をみて、ふと思ったことがあったので。

(あらかじめ、批判ではないので、普通に読んでもらって大丈夫です。)

 

大学の講義中に眠っていた学生がいたときに、その学生を例えば外に退出させるのって、どうなんだろう。と、ふと考えました。

講義中に机に突っ伏して寝ている学生を退場させることはどうやら「その態度では、社会で受け入れてもらえない」ということを実感するよい機会とのことで。それがいわゆる「社会の厳しさ」ということなんだろうなと。

すごく、言っていることはわかる。そうなんだと思うんです。僕も。

そういう態度のまま社会に出ると、確かに社会には受け入れてもらえないんだろうなと。それはすごくわかる。

 

でも、なんだろう。

社会の厳しさってよく言うけれど、そんなことばっかり言っているのは、なんだか少し寂しいような気もする。

例えばその学生は、その講義(多分に、キャリア系の講義ですよね)に興味が持てなかったのか、あるいは元々やる気がなかったのか、そういうことだろうと思うんですね。

僕の大学時代の講義を思い返してみても、ぶっちゃけ、催眠術のように思える講義はたくさんありました。

わーっと前のめりになる講義ももちろんあったのだけれど、僕には全ての講義が面白くてためになって、とは口が裂けても言えない。

その学生がその態度でよいと言っているわけではないです、悪しからず。

 

よくある議論なんだろうけれど。

寝ている学生がいたとして、その学生は自分で(あるいは親が)学費を払っているから、寝るのは本人の自由だし、そもそも講義を受けるのも本人の自由なわけで、自己責任だからどうやってもいいよ、というもの。

もう一つあるのは、そういった態度では社会では通用しないから、例えば寝ている学生を起こすと言うことをしてみたり、態度点数でどうこうとか、あるいは退出させることもまああるでしょう。

結局この二つの議論になりがちなんだけれども、じゃあ、例えば前に立つ側の人(教授でもいいし、講師でもいい)は、学生が眠くなるような話をしているかもしれない、という議論はなされないわけです。

上に挙げたその方がどうと言っているわけではなくて。もっと広い話です。

講義の場って、もっとフェアな場なような気もします。教授も学生も、もっと対等に話す場であってもいいんじゃないかと。

 

話は少し広がりますが、どうして今はこうも「社会の厳しさ」を教えるだの、そういう話ばっかりになるのでしょうか。

社会に出ている側の人が、我慢ばっかりして生きているからでしょうか。

僕も学生として、結構な数の大人に出会ってきました。そのほとんどが、こうやって社会の大変さとか、厳しさとか、学生時代との違いとか、そういう話ばっかりするんですね。

いいですよ。実際にそうだと思うから。言っていることの多くは正しいはずです。

でも、正直、つまんない気もする。

どうして「社会の楽しさ」を教える人がいないんでしょうか。

 

僕は、社会の厳しさはもういいから、社会の楽しさを教えて欲しい。

そんな風に思うんです。

 

上の学生も、もちろん良くない部分もあったのだろうけど、じゃあ一概にその学生だけが悪いかというと、そうでもないんじゃないかって。

いろんな要素があって、その一面が出たのかもしれない。

やる気がないなら、出ていって。というのが、教育なんだろうか、とも思う。(今の僕には本当にわからない、という疑問の話です。)

いや、大学教育の場は義務教育ではない、社会に出る学生を育てる場である、というのもまあわかるんだけれども、本当にそれでいいのだろうか。

 

じゃああなたならどうする?と聞かれても、正解はわからないのだけれども。

もうちょっと、もうちょっとだけ、向き合う「何か」があってもいい気もする。

いろいろと考えさせられるきっかけでした。

 

こういうことを書くと、まあまたいろいろ言いたい方もいらっしゃるのでしょうが、あくまでも僕の一感想を正直に書いたということで。

読んでくださって、ありがとう。