大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

「強さ」を知って生きる 〜まだ見ぬ先の景色に触れること〜

 

ぐさっと。

痛いほど心に響いたので、引用させてもらいました。Twitterより。

 

僕は気がつけば、なんだろう。どこかでずっと「強い人」に憧れていたような気がするんです。

理由はなぜだか分からないのだけれど。物心ついた時から、ひとりで立っていられる「強さ」を求めていた。

同時に、何かしらの形で周りに認められる。そんな「強さ」をも、ひたむきに求めていたのだと。

今になって、あの頃を振り返ってみて初めて、気づかされることなんです。

物事には、時間が経ってから気づかされることが、たくさんある。

 

僕は10代の頃から、大人に対して、社会に対して、そして自分自身に対して、すごく構えて生きてきました。

ある意味での、ファイティングポーズ。

どうしてあそこまで構えて生きていたのかはわからないのだけれども、きっとそうしなければ自分が自分でいられなかったのだろうと思っていて。

そして僕の、その周りに対しての姿勢の先には、あの頃の僕が求めていた「強さ」があるんだと。そんな風に思っていました。

 

それは随分と長らく続きました。

大学に入ってからもそうだったし、大学に入る頃には何かしらわかったような気でいたけれど、今となってはそんなことは全くなくて。

少し、少しだけ前に進めたのは、本当にここ最近のこと。今年くらいでしょうか。随分と長かったし、そして今わかったような気でいるものは、少し先の僕からしてみると、何にもわかっていないのかもしれない、のだけれど。

 

あの頃の僕が求めていた、ある種の「強さ」があったことに間違いはないんだけれども、でも、ふと気づくんです。

そんなものは、強さでもなんでもないんだと。むしろそれは、弱さの投影なんだって。

本当に強さを持った人は、人間として、すごく大きく、そして深さを持った人間なんだと。

自分の信念と、想いと、大事なものを背負って、たくさんの感情を抱えて、だからこそ人の痛みがわかるし、人の気持ちがわかる。

だからこそ優しくなれるし、愛のある人でいられるんだって。

それが本当の意味での「強さ」なんだと、気づかされたような気がします。

本当だろうか。

まだまだわからないことがたくさんあります。もっと先の景色に、触れてみたい。

 

今日は日曜日。なんだか随分と長い1週間の終わりと、始まりのような感覚です。