大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

書くことと、歩くこと。 〜体の状態が、思考にリンクすること〜

 

最近改めて気づいたことがひとつ。

こうして何かを書くことは僕にとってすごく自然で楽しいことなのですが、「書きたい!」と思ったその日に、体調が悪かったり寝不足だったりすると、パソコンに向き合っても、自然な言葉がなかなか出てきづらいですね。

なるほど。

 

書くことに関しては、かなりのエネルギーを必要とします。

頭も使うし、自分の内側から言葉を汲み出していくことは心も使うんですね。感情も使う。

そのときで、僕自身の体にエネルギーが満ちていないと、そもそも言葉を汲み出すことがうまくできなかったりします。

 

僕はいつも、パソコンを開けてキーボードに向かってからでないと、自分が何を書きたいと思っているのか。そもそもそこに何が書かれるのか、わからないということが大半です。

書きたいという気持ちはあるのだけれども、何をどうやって書いていくのかは、実際に書き始めてみないとわからない。

これを書こう。と思って書き始めることもあるけれど、そうやって書き始めることはそれほど多くなく、そして仮にそんな風に書き始めたとしても、書き終わる頃にはすごく遠い場所まで行っていたりして。

 

いま、自分自身が何を考えていて、何を感じているのか。気持ちは、感情は、思考は、どんな風にあるのか。

僕の中でブログを書くことは、それらをひとつひとつ確かめて行く作業でもあるんです。

同時にそれは、自分の体の状態を確かめることにも繋がっている。

なぜならば、やっぱり体と内側の方はつながっていて、どちらが先にとかではなくて、どちらも大切なんだということです。

 

勉強をしたり、本を読んだりということもそう。

一見、机の前に座っているだけのように見えるけれども、そしてもちろん娯楽で本を読む場合もあるのだけれども、それでも何時間も集中して思考を深めて行くという作業は、すごくフィジカル的な要素が強い。

少なくとも、体が十分に整っていないと、きちんと集中を持続することってできないんですね。

 

その意味で僕は10代の後半の頃からずっと続いている習慣があります。

散歩です。

歩く、ということは、僕の生活の中でのひとつの習慣になっています。

習慣になってはいるのだけれども、何らかのタイミングでそれができない日が重なったりすると、やっぱり体の調子が良くない状態になるし、それはたとえ些細なものだったとしても、実際に何かに集中したり、考えたり、書いたりすることになると、その体の状態がすごく反映されるんですね。

 

ちゃんと自分の体の声に耳を傾けて、ちゃんと食べること。眠ること。適度に動くこと。

そういったひとつひとつが、大切なことなんだなぁと。

もちろん、歩くことでなくても何でもいい。走ってもいいし、好きなスポーツをしてもいいし、筋トレをしてもいい。

僕の場合はいちばん気軽で、かつ自分に合っているものだから、歩いています。

 

さて。

11月に入り、一段と外が涼しくなってきました。散歩に行ってきます。

ありがとう。