大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

その人自身の想いと姿が、人の心を動かす。

 

僕が読んでいるブログの中に、素敵な記事があったので、引用。

その人自身の頑張っている姿を見て、そして感動をもらえた人は、そこに価値をすっごく感じるんだな!という事。

なんて素敵なんだろう。

芸術って身近だね、それと朝の時間って素敵だよね!のお話 - a-richannelのブログ

すごくないですか、これ。笑

その人自身の頑張っている姿を見て、そして感動をもらえた人は、そこに価値を感じる。

なんて素敵なんだろう。と彼女は書いていますが、僕が言いたい。

なんて素敵なんだろう。なんて素敵な言葉なんだろう。なんて素敵な感性なんだろう、って。

 

彼女はそのエピソードとして、自分の友人の大学祭の話を書いていて、その友人の大学祭の演技を見て、嬉し泣きで感動して、涙が止まらなかったんだと。

その演技をしている今があるけれど、その瞬間に至るそれまでとか、想いとか、不安とか、夢とか、感情とか。そういういろんなものが重なって、そしてその姿が見ている人の心を揺さぶるんですね。

 

僕も以前、初めて友人の学祭に足を運んだときに、似たようなことを思ったなと。

その時書いた記事もあって。 

yuto.hatenadiary.jp

 

あとは、これまた友人のイベントに参加した時に思ったこと。 

yuto.hatenadiary.jp

 

その場でしか伝わらない感動というものは、確実にある。

そしてそれは、それに関わる人の想いだったり、頑張っている姿、それも嫌々ながら頑張るとかそういった話ではなくて、本人は想いを持って楽しんでいる。

もちろん大変なことはあるのだけれども、それでも楽しさを持っていて、周りの人からすると懸命に頑張っているように見える。

そういった表にはなかなか出てきづらい姿が、やっぱり人の心を動かすんだと。

当たり前のことですが、表に出てくる結果はやっぱり大切。イベントしかり、ビジネスしかり、結果にはものすごくこだわるべきなんだけれども、それでもやっぱりそれまでの頑張りの過程とか、想いとか、そういう姿という一種の、なんだろう。ストーリーであり、プロセスこそが、人の心を動かすんだと思っていて。

 

上で引用させてもらったブログで言っているのは、きっと(僕なりの言葉にすると)そういうことなんだと思っています。

だからこそ、そこで感動して心が揺さぶられるからこそ、価値を感じる。

その先には、別に望まなくとも、例えばお金であったり、周りの人であったり、それらはあとから付いてくる。もちろん、それらを考えることは大切だけれども、それらありきではない、という話です。

これも彼女のブログに書いてあったことですが、それに価値を感じた人は、お金は払います。少なくとも、何かしらでその感動に対してお返しをしたいと思う。それが言葉だったり、別の何かだったりするわけで、その一種の形がお金なんだということです。

 

僕の話をすると、僕は将来、本を書きます。

書いている僕の言葉のひとつひとつだったり、それこそ僕の生き様が問われるのだと思っていて。

だからこそ今、僕はこの生き方を選んでいます。 たくさんの人に支えられていると、心の底から感謝。ほんとに。

これからも僕は、僕の人生を淡々といきますね。 

いつも僕のブログを読んでくださっている方、ほんとうにありがとう。これからも淡々と、書き続けていきます。

 

<追伸>

引用した上の記事の中には、芸術の話やピカソの話が出ていて、僕もいっぱい書きたいことが溢れてきたので、それはまた別の記事に書きますね。おやすみなさい。