大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

いま僕は、布団の中に体を埋めて寝そべりながら、枕元に置いたMacBookでこのブログを綴っています。

僕の部屋は和室なのですが、布団以外には、机と本がぎっしり詰められた本棚以外には、何もない。畳の上には、本棚に入りきらない本が溢れかえっていて、本の森の中に敷かれた布団と、その中でMacBookのキーボードを叩いているというアンバランスな風景が、妙に面白く見えてきます。

ついさっきまで読んでいた本というのは、現実と非現実とを行ったり来たりするほうの文章で、いま僕がこうしてブログを書きつづりながらも、だんだんと眠気を誘われいてる。そしてその感覚というのは、小説を読んでいるときに感じるそれに近しいものがあって、どちらもすごく心地の良い感覚なんですね。

 

1日中。本当に1日中、僕はパソコンに向かうか本に向かうか、ということをしていて、気づけば明け方を迎えようとしています。

心地よい眠気というのはいいもので、その中で文章を読んだり書いたりしていると、だんだんと現実と非現実の間の方に落ちていく感覚に陥っていきます。

 

そんなことを書き綴っているときに、友人からメッセージが届いた通知が部屋に響き渡って、少し驚く。

いま、明け方の4時をすぎているのだけれど、そして僕は不思議な感覚になっていて、その中でメッセージが届くこと。そしてパソコンを開いていた僕が数秒で返信するという、現代的な模様がまた一つ、この部屋の風景を興味深いものにしている気がして。どうやらメッセージをくれた彼女も、目が覚めて本を読んでいるらしい。不思議なものですね。

気づけば、もうすぐ太陽が昇って、部屋いっぱいに日差しが降り注いできます。朝日が昇ると、大きな窓から太陽が僕の頭の方に降り注いできて、僕はその日差しで朝目覚めることができる。というのが僕の部屋の好きなところ。うん。

またいつか、あのときに行った海沿いの家のように、海が見える大きな窓から差し込む朝日を感じて、朝目覚めるということをしたいな。忘れられない光景です。

朝、海沿いを散歩して、家に戻ってパンとコーヒーを飲みながら、今こうしてブログを綴っているように、本を書いて自分の世界に入り込んでいくことができれば、どれだけしあわせなんだろう。時折、そんなことを考えたりします。

僕の中にしまいこまれている感情の記憶というのは、感じた景色のひとつひとつの場面が、心のシャッターを切ったように、心の中のアルバムに閉じられていて。そして何か些細なきっかけで、それが溢れ出てくるんです。自分でもびっくりするくらいに。

ひょんなこと。あの日も、そうだった。たった一言で、心が震えて、感情が溢れてきてどうしようもなくなって。そんなふうに、感じられる自分がいるということ。あんな風に泣ける、自分がいるということ。それらも大切にして、生きていきたい。

いったん、この文章は終わりにしよう。眠りに入れるかな。

 

<追伸>

地震、大丈夫でしたか。またゆっくりと、お話をしましょう。