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大人の少年で、僕はありたい。

2017年新卒で、人材業界に就職しました。 趣味は読書と、手紙を書くこと。 大人の少年で、僕はありたい。 好きなものは、雨の日とカフェオレ。

金曜日の夜は、街がちょっとだけ、華やかになる。

大学の講義を終え、建物の外に足を踏み出してみると、皆一様に、いつもよりちょっとだけ浮き足立っているように見える。

そんな彼らから逃げるように、いや、見えない何かから逃れるように、今日までにやるべきだった仕事を思い出し、いつもの仕事場へ足を運ぶ。

いつもの仕事場といっても最近は、以前に感じていた、ここが自分の居場所のひとつという感覚は、気づけばどこかに過ぎ去ってしまっていて。そしてそれは僕の中で、とある”何か”が引っかかっているからかもしれない。そんなことは、自分でもよくわかっているのだけれど。

目の前にやるべきことがある、というのはいいもので、つかの間の仕事感に浸ったまま、ふと夜の11時を過ぎていることに気づく。ああ、もうすぐ、今日が終わる。

そのまま帰る気にもなれず、再び大学の研究室に足を運んでみたり、月明かりの空の下でひたすらに散歩をしたり、誰もいない自分一人だけの時間をかみしめるように時を過ごしてふと顔をあげると、時計は深夜の4時を過ぎている。もうすぐ夜が明ける。

こんな時間になってもどうしても寝付けなくて、慣れないアルコールを飲んだりしながら、こうしてパソコンに向かっている自分がいて。ああ。

 

何をするでもないけれど、ひたすらに自分の内側に向き合う時間というのは、案外いいものだ。

考える。歩く。立ち止まる。空を見上げて、ああ、綺麗だなと思う。音楽を聴く。

意識がどんどんと自分の内側、深い方に入り込んでいく感覚。自分とおしゃべりをすること。そこにあるのは不思議とネガティブな感情ではなく、もっともっと入り込みたい、奥側にある何かに触れたい。そんな、一種の探究心にも似た感覚になると、こうしてとりとめもなく、ただ書きたい言葉が溢れてくる。

 

今の僕に必要なのは、こうした時間なのかもしれない。ネガティブな方の感情ではなく、自分の内側とゆっくり向き合う時間。外界と繋がってはいるのだけれど、ある意味外から干渉されない、自分の内側にできあがった世界観があって。そしてそれは、感情、記憶、想い出といった自分の中にあるものだけで構成されているもの。

ここ最近、夜に一人になることが多いのは、自然とそういう世界に入っていけるから。誰にも干渉されない、自分だけの世界観があって、もちろんそこに入り浸りすぎると、だんだんと感覚がおかしくなってしまうのだけれども、僕自身はこうして書くということでバランスを保つことができると思っていて。むしろ、こうして書くということを通して、自分の内側と、外で生きる社会との架け橋になっているような、そんな感覚で自分自身と向き合おうとしている。

朝早くにこういった時間を持つことも、ひとつ重要ではある。早朝はきっと、もっとポジティブな感情で、かつ誰にも干渉されない時間であることは事実で、仕事をするときもそうであったように、何かを書くということに対するクオリティも、深夜と早朝では雲泥の差があることは、身を以て知っている。

 

一方で、深いところで自分自身と向き合って、そのままスッと深いところに入っていく感覚であったり、一通り書くということを通じて自分の抱えているものを吐ききった後、孤独になることで再び溢れてくるインスピレーションを見るということだったり。そういったものが、深夜の時間にしかできなこともまた事実。どちらがいいということではないけれど、必要以上にネガティブにならないのであれば、深夜の一人の時間を持つということも、そしてこの時間はそう長くは続かないことも知っているので、特に今のような時期には必要な時間なのではと思う。

慣れないアルコールを摂るということ、そしてその力を借りて意識を落とすということは、長くは続かない。そんなことは、自分が一番よくわかっているからこそ、また一つ進むことができれば、とそんなふうに思いながら。随分と酔いが回ってきたようで、このまま寝落ちしそう。

一旦、パソコンを閉じて、体を楽にしたいと思う。とりとめのない文章を書いて、ごめんなさい。