大人の少年で、僕はありたい。

2017年新卒で、人材業界に就職しました。 趣味は読書と、手紙を書くこと。 大人の少年で、僕はありたい。 好きなものは、雨の日とカフェオレ。

僕の正義。あなたの正義。

人によって、正義は違う。

それは、ひたすらに正しい。

僕の正義があって、そして、あなたの正義がある。

 

セイギセイギセイギセイギセイギセイ...

 

何かの犠牲の上に、誰かの正義が成り立っているのなら、その正義は本当に正しいのだろうか。と、時々思わされます。

 

人の正義を、否定することはできないわけで。

本当に正しいことなんて、誰にもわからない。僕も、わからない。

それでも僕は、分かろうとする努力は続けたいし、結局、自分の中の正義に従っていくしか、道はないのだと気付かされます。

 

翻って、僕はどうだろう。

何を犠牲にして、どんな正義に従って生きているのか。

時々、怖くなります。

自分が気付かないところで、誰かの人生を殺してしまっているのではないかと。

 

誰かの人生を背負うことなんて、できない。

手を差し伸べることはできるかもしれないけれど、それは僕らが思っているより、簡単なことではない。

それは、すごく痛みの伴うものであるということ。

痛みを、背負うんだということ。

 

僕の正義と、あなたの正義。

 

より大きな大義のためには、多少の犠牲もやむをえない。

そうやって、歴史は戦争を語っています。

ほんとうに、そうなんだろうか。

ほんとうに、それが正しかったのだろうか。

僕には、わからない。

 

あの時、僕らの先を生き、散っていった人たちはみな、結局最後は自由が勝つんだと語っていました。

それが、今の時代に生きる僕らに託した彼らの想い。

僕らは、生きているんじゃあない。生かされているのだと。

 

そうなった時に、僕は、あなたは、僕らは、何を想ってこの人生を生きるんだろう?

何を正義として今を生き、未来を語るのか。

僕は。

 

その葛藤が必然ならば、僕は優しくある方でありたい。

そのためには、強く生きなければならないのかもしれない。

 

<追伸>

このブログを書いたのはいつだろう。今、ふと自分で書いたこの文章を読み返してみて、すごく心が痛い。

この時の僕は「自分が気付かないところで、誰かの人生を殺してしまっているのではないか」と書いている。それがすごく怖いんだと。本当にそう思う。

自分のふとしたところで、誰かを傷つけてしまっている。それほど、怖いものはない。それが自分の大切な人であるならば、なおさら。そう考えるとおかしくなってしまいそう。

大事に想っているからこそ、もう一歩近づくのが、すごく怖い。もう大切なものを失くすのは嫌なんだ。

すごく身勝手なことを言っているのも、自分ではよくわかっているのだけれど、どうしたら良いのかわからなくて、久しぶりにパニックになりそう。ごめんなさい。何を書いているんだろう。

傷ついた人の痛みが伝わってきて、すごく、すごく痛い。たまらない気持ちになるんです。

大事な人たちを守れるような、優しくて強い人間になりたい。