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大人の少年で、僕はありたい。

大学で学問やっています。4年生。主に物理学。趣味は読書と、手紙を書くこと。好きなものは、雨の日とカフェオレ。人材業界に就職する新卒です。

就活における、学歴フィルターについて。

就職活動

以前、ざっくりと、就活における、学歴フィルターについての記事を書いたのですが、今回はもう少し書き加えてみたいと思います。

 

以前の記事で書いたことを繰り返すならば、多くの就活生が口にする、いわゆる「学歴フィルター」というものは、存在しません。

というのも、僕自身が30社近くエントリーをして、その約半数が大手企業だったのですが、僕自身がすべての企業の選考で、面接まで進むことができた。

きちんとESを書いて、筆記試験をパスすれば、面接まで進めるという事実は、特に地方大学の学生にとっては、あるいはいわゆる有名大学ではない(と自分で思って諦めてしまっている)就活生にとっては、すごく価値あるものだと思っています。

 

ESはESで、そして筆記試験は筆記試験で、それなりに求められる水準というのがある。

そして特に筆記試験に関しては、その水準は単純に学力に比例しているので、”結果的に”学歴に比例する、というのが学歴フィルターの種明かしです。

 

もちろん、日本の由緒正しき大企業は、未だに各大学から何人を採用するか決めているところもあるというので、すべての大企業が学歴フィルターをしていないわけでは、もちろんないというのも事実。

実際、国立上位10大学+私立2大学以外はエントリーすらできない企業があるというのも事実ですが、それは本当に0.1%にも満たないもので、大企業であろうがなかろうが、残りの99%以上の企業に関して言えば、学歴フィルターはありません。

「学力フィルター」は、もちろん存在しますが。

 

なぜ、そもそも企業は有名大学を中心に採用を進めていくかというと、それは単純に「確率」の話です。

学力しかり、地頭しかり、一定基準を満たす学生が多い「確率」を考えた際に、ある程度、大学を選別するというのは非常に合理的な選考方法だということですね。だから、そこでふるいにかける。

でも、言い換えれば、その一定基準を満たしてさえいれば、面接以降は学歴は関係ない、ということになります。

 

なぜ企業の選考の多くにESが課されるのかというと、ある程度まとまった文章を書かせることで、その人の能力を推し量ることができます。

言い換えると、ES程度の文章も書けない文章力の人は、うちには来ないでね、というメッセージなんですね。

その人の人間特性、そしてその能力を推し量るには、ESはすごく適切な手段だと僕も思います。

 

例えば、ここまでインターネットが進歩しているいま、正式なエントリーのほぼ全てがネット媒体経由(リクナビマイナビとか)なのに対して、ESはまだその過半数が手書きを要求してきます。それはなぜかということ。

それは、手書きでESを書かせてみると、その人の人間性が透けて見えるからなんですね。

どれだけ細部にこだわって、ESを書いているかということです。

写真の貼り方、文字の大きさ、書き方、空欄はないか、とか。諸々です。

 

細かいと思う人もいるはずですが、ビジネスではそういった細部への配慮によって、大きな差がつく、ということです。

そして、その細部に気が配れない人は、ビジネスでも細部まで気が配れない人(が多い)ということなんですね。

 

ESなんて、中身が大切なのだから!というのも、正論。

もちろん、内容は大切。

内容は大切ですが、手書きの段階で気配りができていないと、それこそすべての内容までは絶対に見られません。断言します。

エントリーしたすべての学生のESを見るほど、人事は時間はありません。

 

僕が企業の人事でも、絶対に手書きのESを課します。(と、いまは思っています。)

その人の「人となり」が、よく見えるからです。

そう言った意味では、日本の採用というのは、よくできているんだと思っていて。

 

筆記試験も同様です。

SPIといった筆記試験は、純粋に受験者の基礎学力と、地頭の良さを推し量っています。

難易度を上げたければ、その企業独自の試験を課すことも多々あって。

筆記試験というハードルを越えられない人は、うちに来ても仕事をやっていくのは厳しいから、来ないでね。という企業側のメッセージなんですね。

 

就活をして初めて、社会の厳しさに直面する

いろいろ書いてきましたが、ESも、筆記試験も、受かる人は受かる。どこを受けても、一定レベル以上、確実に受かる人がいる一方で、どこを受けても、何回受けても受からない人は受からない。

それこそ、筆記試験なんて、就活解禁前のちょっと勉強したからといって、もともと筆記試験を難なくクリアする人を逆転するということがあるのかというと、そんなことは絶対にないわけです。

18年間の積み重ねであるし、元々の地頭の良さであるので、その差は簡単には埋まらない。

 

就職活動というのは、そいういった「等身大の自分自身」という現実を突きつけられる、すごくシビアな世界なんですね。

 

何が厳しいかって、就活生は、初めて自分自身を社会に「評価される」という場面を迎えるわけです。それがすごくシビアで。

面接に落ちたからといって、人間性が否定されたわけではない。

というのは、もちろん建前であって、本当はそうではない。

その人がいままで育ってきた環境と、周りの人を否定していることと同じ。

それが、評価されるということの厳しさであり、社会の厳しさです。

 

僕は、人生の中で一度はそういう経験をすることは、必要だと思っています。

自分がいままで積み上げてきたものが、否定されるという経験。

どう頑張っても、できないものはできない、ということを痛感する。

そうやって、ありのままの自分を受け入れる、現実を受容するということをして初めて、社会に1歩踏み出すことになるんだと思うんですね。

 

その中で、自分には何ができるのだろうか?とか、自分が本当にしたいことは、成し遂げたいことは何なのか、ということを真剣に考える。

就職活動という時間は、その1つのきっかけなんですね。

 

厳しさの中に、愛を込めて。

今回は少し長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれて、ありがとう。