大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

君がくれた夏。その奇跡。

 

君の描いた未来の中に、僕はいない。その時代もない。

まだ少しだけ、傷を抱えたふたりは、夢の続き探してた。 

以前も書いたのですが、家入レオの「君がくれた夏」という曲は、本当に良い曲ですね。

何度聞いても、心が痛い。

 

なんでこんなに響くのだろう。

言葉って、いいなぁと。

 

どうやったら、こんな詩が書けるんだろう。

何を感じて生きていれば、こんなに痛い言葉が出てくるのだろうか。

 

10代。

高校時代という多感な時期に、これほど尖った感受性を持って世界を見ているならば、ものすごく痛い毎日だっただろうなと思います。

僕は、そこにどこか自分を重ねているのかも、しれません。

 

この、なんとも言えない感覚。

寂しさ。孤独。まっすぐさ。不安。

その中にある、綺麗さと、歯痒さと、そして恋の心。

 

あの頃の僕は、日々の生活の中で、ひたすらに何かに追われているような感覚を持っていて、でもそれが一体なんなのかわからない。

でも、何かにぶつけないと自分自身がおかしくなってしまいそうで、没頭するものがないと自分の内側から壊れてしまいそうで、いっぱいまで頑張っていたのだなと、今となっては思います。

 

そしてそれは、大学時代になっても、どこか変わらないものがあって。

 

なんとも言えない感覚だからこそ、言葉にできない感覚があるからこそ、それを全て言葉にするのは無理で、その中の瞬間を切り取って、言葉を綴っていく。

そんな、なんとも言えない感覚を必死に言葉にしようともがいていて、でも何をどう書けばいいのかなんてわからなくて、心の中にある大きな葛藤と闘いながら、言葉を書き綴っている。

その積み重ねが、今なんだなと思います。

もっと自由に生きたいですね。

 

君がくれた夏。その奇跡、僕は忘れない。

溢れそうな想い、あの夕陽に隠して。 

ありがとう。

 

<追伸>

僕も、忘れません。