大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

語彙力こそが教養である。〜相手の思っていることを適切な言葉で表すという力〜

『語彙力こそが教養である』

これは、明治大学齋藤孝先生の昨年出版の著書です。

 

僕は今年、本屋巡りをしていたときに、本棚に掲示されているこの本を見て、直感で惹かれて即買いしたのですが、

この本の帯に書いてある「その一言に知性は滲み出る」というワンフレーズで、この本を買った元は取れているなと、ページを開く前に思いました。

 

語彙力というのは何か

よく語彙力、いわゆるボキャブラリーという言葉は、よく耳にしますが、語彙力というものを、どんな風に認識しているかで、その意味もまったく異なったものになるのかなと思っていて。

 

僕がこうして日々文章を書いている中で、もちろん語彙力というものは重要なものです。

どういう点で重要かということ、それは単に難しい言葉を知っているという”知識”の点ではなくて、相手の思っていることを適切な言葉で表すという意味での語彙力が、すごく大切なんですね。

 

どういうことかというと、基本的に本を読んだり、こうして誰かの書いた文章を読む人というのは、読み手が日頃考えていることがあって、その日頃考えているものに対して、例えば今回なら「語彙力とは」というキーワードが共鳴して、つまり何らかの形で引っかかるものがあるからこそ、わざわざこうして文章を読んでくれているわけです。

 

まったく何も共感しないテーマやタイトルなら、読み手は素通りする、そもそも認識すらしない、というのが当たり前なんですね。

書き手に共感しているから、その作家が単純に好きだから、というのももちろんありますが、それはその書き手が今まで書いてきた文章に対して、なんらかの共感を読み手側が覚えているから、だからこそ次も読んでみよう、と思っているんです。

 

日頃、人々が考えいてるものがあって、そのことをうまく言葉にして書き表すことが、僕の中での語彙力の定義です。そしてそれがいい文章だということだと思っています。

文章を書く人というのは、発見に溢れた真新しい文章を書く必要は全くなくて、むしろ、当たり前のようなことだけれども、読み手の喉につっかえていたものをスッとさせる。それが僕の中で一ついい文章の定義だと思っています。

 

そしてこれは文章だけではなくて、日頃の会話もそうで。

相手の想っていること、考えていることを、適切な言葉にしていく力というのは、間違いなく語彙力だと思うんです。

その語彙力は、単に言葉を覚えていくことでは培われない。

たくさん本を読んで、人と対話して、思考を深めていくという作業を念入りに積み上げていかないと、語彙力は磨かれないと思っています。

 

僕はこうして日々の中でブログを書いたり、本を読んだりする時間は、一つ「語彙力」を磨いていくことに繋がっているのだと、思いつつ。

人は言葉で思考をする生き物だし、その言葉が自分の思考を整理していくんですね。

言葉って、いいなぁ。

 

いつも、僕のブログを読んでくださって、ありがとう。

 

<追伸>

よかったら読んでみてください。

帯が素敵です。