大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

運転していると、書きたいことがどんどん溢れてくる。

東京のホテルなうです。

明日から内定者研修(?)のプレのようなものらしい、、

まったく乗り気でないが、大丈夫だろうか。。

淡々といきますね。

 

さて。

1人で何かを考える時間というのはすごく大切で、例えばそれは移動時間という中に確保することもできる。

1人で電車に乗っている時もそうではあるのですが、でもやっぱり目の前には人がいて、電車の中は1人の空間ではなくて、そういった意味では、自分が運転する車の中というのは、ものすごく考え事に適した時間と空間なのだなと。

 

1人で自室に籠もっていたり、あるいは1人でスタバにいる時よりも、また別の何かが僕に作用して、思考をよりクリアにしてくれる感覚。

それは、適度に神経を張り詰めている空間の中で、見える景色が刻一刻と時間変化していくことで、いろんな刺激があるのだろうと思っています。

 

自分1人の閉ざされた空間の中で、思想に耽る事ができる。

そうやって考え事をしていると、どんどんと書きたい事が溢れてきます。

 

ただ困った事に、運転をしていると、もちろん書きたい事が溢れてきても書けないわけで、そんな時は動いている時に考えや言葉を頭の中でまとめていって、例えば信号待ちやの時に、パッとメモを取ったり(ペンとノートは常備しているw)、あるいは路肩に寄せてTwitterやブログのタイトルに書いたりするわけです。

(実際「運転していると、書きたい事がどんどん溢れてくる。」という、このブログのタイトルは、車が止まった時にブログのタイトルに打ち込んだ。)

 

僕の書きたい事のアイディアは、いろんな景色と、過去の自分の経験が融合して出てきているものなのかもしれません。

来年僕は東京に就職しますが、そうやって場所が変わるとまた、書きたい事も変わってくるのだろうか。

 

感覚的には、外からの何かしらの刺激、それは人であったり本であったり、あるいは景色であったり匂いであったりしますが、そういった刺激によって、自分の内側の奥深くにあるものが掘り起こされていく。それがアイディアとなって。

そしてもっと深いところへ降りていくという作業が、こうして書くということにつながっている。

その繰り返しによって、僕の書くという作業は成り立っているのだなと。

 

これからも淡々と書き綴ってありたい。

ありがとう。

 

追伸.

今から大きな前哨戦。。

ブログを更新して、行ってきます。