大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

今日書くものは、今日しか書けない。〜書くことすべてが、今日の日記になる〜

 

僕のブログのタイトルは「Yuttieの日記」です。

これは、このはてなブログの前にライブドアブログで書いていたときからそうです。

つまり、書くことすべてが日記になっていて、すべてその瞬間その瞬間でしか書けないことを書いています。

 

このブログを書き始めたときに僕は初めて、誰かに読んでもらうことを意識してブログを書こうと思いました。

大学生の今の僕にしか書けないことを書いて、読んでくれる人の価値になるものはなんだろうと考えたときに出てきたものは2つ。

1つは僕が感じた「大学時代」について、そしてもう1つは僕が思う「就職活動」についてです。

 

だから、この日記では僕はまず「大学時代」と「就職活動」という2つのカテゴリーを作りました。

 

でも、それ以外にも書きたいことがたくさんあって、それはなんだ、他のカテゴリーなんだろうか?と考えたときに、すぐに僕の中から出てきた答えが「日記」というカテゴリーでした。

それこそ、内容はなんでもいいから、その瞬間の僕にしかけないことを書いているわけですから、書くことすべてが日記であると。

 

よく、「そんなに毎日よくブログが書けますね」と言われますが、僕の中では「ブログを書こう!」と力を入れている感覚は全くなくて、むしろ逆の感覚です。それは「淡々と、日記を綴っている」あるいは「1人に向けて手紙を書いている」という感覚で、それは10代の頃から今もやっている僕の習慣です。

 

ノートに日記を綴ること。誰かに手紙を書くこと。

それをただブログという形で表しているだけなので、いくらでも書きたいことが溢れてきます。

それこそ、こうしてひとつの内容を書いている間に、他の書きたいことがどんどん出てきて、自分の体がそれに追いつかなくて困っているくらいです。

 

あなたが今日書くものは、今日のあなたにしか書けないものです。

1ヶ月前の日記を書くことができないように、あなたが今日書くことは、あなたが今日1日生きたという日記なんです。

日記を書くことができる人は、必ず本を書くことができるはずです。

別にブログでなくてもなんでもいい。ノートでも、チラシの裏でも、講義ノートの隅っこでも、書くことがすべてが、あなたの今日の日記になります。

 

僕はこれからも淡々と、そして熱い想いで、言葉を綴り続けていきます。

いつも、僕の日記を読みに来てくれて、ありがとう。

 

あなたの日記も、見せてくださいね。

 

<追伸>

今日はすごくいい天気です。

朝から頭フル回転で文章を綴って、そして仕事をする1日の始まりは、すごく気持ちがいいものです。

ありがとう。

 

<追伸の追伸>

誤字脱、なおしました。いつも読んでくれて、ありがとう。

選考、応援しています。

共に、咲こう。