大人の少年で、僕はありたい。

コンサルのお仕事やっています。 このブログには、自身の経験からくる「大学時代」と「就職活動」、そして10代の頃に知りたかった社会のリアルを書いています。

大人の少年で、僕はありたい。という以前書いていたブログを読み返してみて。

僕はこうして匿名でブログを綴っているわけですけれど、それはなぜかというと、将来本を書くという夢があって、自分の本名で発信するときは本を書くとき、という根拠なき理由みたいなものを以前からずっと持っているからです。

本当は実名で勝負して、どんどん発信することをしていった方がいいのかもしれない。だけども、今は自分の中でそれは何かが違う、という感覚があるので、今の形のままでブログを綴ることを続けていきたいです。

 

とは言いつつも、僕が綴っているこのブログを読みに来てくれる大切な人が、僕の文章をシェアしてくれたりして、どんどんと僕が書いているということも広がっていたりして、それはそれでとても素敵なことだなと思っていて。

「ブログ読んでますよ!」と僕に直接声をかけてくれたり、あるいはコメントをしてくれたりする人がいるというのは、すごく嬉しいことですね。

 

さて、僕はこのブログをTwitterにリンクしているのですが、それは僕が書く言葉がリアルな社会と接点を持つことをしたくて、2つ前の僕のブログからTwitterにリンクすることを始めました。

 

僕の2つ前のブログは、「大人の少年で、僕はありたい」というブログです。

さかのぼってみると、2年以上も前から綴っていたブログで、それこそ僕が大学でひたすら学問に打ち込んでいた頃から書いていたブログです。

ここ1年以上、そのブログを読み返すことを忘れていたのですが、久しぶりに見返してみると、ああ、あの頃はこんなことを考えていたなとか、いろんなことが思い返されてきて、すごく懐かしい気持ちになります。

と同時に、意外と自分自身の文章に「なるほどな」と思わされたりもしていて、逆に自分ではない誰かが書いているような感覚になって、その感覚がなんとも言えない喜びになっています。

 

本を書くという喜びは、そういうところにあるんだろうなと、勝手に妄想に浸っています。

書き手にとって、そして作家にとって、書いたもの、書いた本が自分自身なんです。

書いて初めて、そこに自分の命が吹き込まれる。

書くという作業は、命を吹き込む作業なんですね。だからひたすらに尊いんだと、僕は思っています。

素敵ですね。

 

こうして時折、自分自身の言葉を見返してみるという日々も、書くことの1つの楽しみです。

いつも、僕の書いたブログを読みに来てくれて、ほんとうにありがとう。

 

これからも、よろしくお願いします。